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บทที่5
operational
เดินตามรอยญัฮกุร สู่ขวัญป่า
第5章
ニャクルの暮らしを
たどる「森への祝福」
จากป่า...กลับสู่ผู้คน
森から、人々の暮らしへ
ช่วงสุดท้ายของการเดินทางเป็นทางลาดลงยาว ๆ
ไม่นานนัก เราก็มาถึงทางออกสู่บ้านวังอ้ายโพธิ์
เจ้าหน้าที่แยกออกไปลาดตระเวนตามเส้นทางของตน
ก่อนแยกจากกัน เรานำภาพที่ทุกคนวาดมาสรุปการเดินทาง
ทุกคนมองเห็นป่าเดียวกัน
เดินบนเส้นทางเดียวกัน
แต่กลับมีเรื่องเล่าคนละเรื่อง
นี่อาจเป็นอีกบทเรียนหนึ่งของการเดินทาง
ธรรมชาติเดียวกัน ไม่ได้สร้างประสบการณ์เดียวกันให้กับทุกคน
เมื่อเราแยกจากเจ้าหน้าที่แล้ว ก่อนเข้าสู่หมู่บ้าน เราพบศาลของสิ่งศักดิ์สิทธิ์ประจำหมู่บ้าน
พี่พนมทำพิธีขอก่อนที่เราจะเดินเข้าสู่ชุมชน
จากนั้นหมู่บ้านก็ปรากฏตรงหน้า
สะอาด เรียบง่าย สงบ
มีร้านขายน้ำเล็ก ๆ อยู่ตรงสามแยก
เด็ก ๆ เพิ่งกลับจากโรงเรียน วิ่งเล่นและหัวเราะ บางคนหัวเราะจนเห็นฟันหลอ
ภาพของเด็ก ๆ เหล่านั้นกลับเป็นเหมือนคำทักทายที่อบอุ่นที่สุด

แล้ว ทริปนี้” คืออะไร?
หลังจากเดินทางครั้งนี้ เราอาจตอบคำถามนี้ได้ว่า
การเดินทางครั้งนี้ ไม่ใช่การพาคนเข้าไปเที่ยวป่า
แต่คือการพาคนกลับไปเรียนรู้ว่า
มนุษย์เคยมีความสัมพันธ์กับธรรมชาติอย่างไร
ชุมชนหนึ่งเรียนรู้ที่จะอยู่กับป่าอย่างไร
เราจะเข้าไปในพื้นที่ของธรรมชาติด้วยความเคารพได้อย่างไร
และเราจะนำสิ่งที่เรียนรู้กลับมาเปลี่ยนวิธีที่เราใช้ชีวิตในโลกภายนอกได้อย่างไร
ญัฮกุรอาจสอนเราว่า
ป่าไม่ใช่ทรัพยากรที่มีไว้ให้เราใช้เพียงฝ่ายเดียว
แต่เป็นบ้านของสิ่งมีชีวิตจำนวนมาก
เป็นครูที่สอนผ่านฤดูกาล
เป็นครัวที่ให้เราได้เรียนรู้เรื่องอาหาร
เป็นห้องเรียนที่ไม่มีผนัง
และเป็นพื้นที่ที่ทำให้มนุษย์ได้กลับมารู้จักความเล็กของตัวเองอีกครั้ง
สู่ขวัญป่า
เราอาจเดินเข้าไปในป่าด้วยสองเท้า
แต่สิ่งที่หวังว่าจะเดินกลับออกมาด้วย
คือ หัวใจที่เปลี่ยนไป
จากการมองป่าเป็น “สถานที่”
สู่การมองป่าเป็น “ชีวิต”
จากการมองธรรมชาติเป็น “สิ่งที่เราจะใช้”
สู่การมองธรรมชาติเป็น “สิ่งที่เราต้องอยู่ร่วม”
และจากการถามว่า
“ป่าให้อะไรกับเรา?”
เปลี่ยนเป็นคำถามว่า
“แล้วเราจะให้อะไรคืนแก่ป่าได้บ้าง?”
นี่คือการเดินทางของ “สู่ขวัญป่า”
การเดินทางกลับไปหาความสัมพันธ์เดิมระหว่างมนุษย์กับธรรมชาติ
ผ่านผืนป่า
ผ่านผู้คน
ผ่านเรื่องเล่า
ผ่านอาหาร
ผ่านความเชื่อ
ผ่านลมหายใจ
และผ่านการกลับมาอยู่กับโลกอย่างรู้สึกตัวอีกครั้ง
เพราะบางที การสู่ขวัญป่า
อาจไม่ใช่การเรียกขวัญให้ป่า
แต่อาจเป็นการเรียกขวัญของมนุษย์ให้กลับคืนมาอยู่กับโลกอีกครั้ง
旅の最後は、長い下り坂が続きます。
しばらくすると、ワン・アイ・ポー村へ続く出口に到着しました。
森林レンジャーの方々は、それぞれの巡回ルートへ戻っていきます。
別れる前に、私たちはみんなが描いた絵を並べ、
この旅を振り返りました。
同じ森を見て、同じ道を歩いたのに、
一人ひとりが違う物語を持っています。
これもまた、今回の旅が教えてくれたことの一つかもしれません。
同じ自然の中にいても、すべての人が同じ体験をするわけではない。
レンジャーの方々と別れ、村へ入る前に、私たちは村の守り神を祀る祠に出会いました。
パノムさんが、村へ入る前に儀式を行います。
そして、その先に村が見えてきました。
清潔で、
素朴で、
静かな村。
三叉路には小さな飲み物の店があり、
学校から帰ってきた子どもたちが走り回り、笑っています。
歯が抜けたまま笑う子どもたちの姿。
その光景は、何よりも温かい
「おかえり」の挨拶のように感じられました。
では、この旅とは何だったのでしょうか?
今回の旅を終えて、私たちはこう答えることができるかもしれません。
この旅は、人を森へ連れて行き、森を観光してもらうための旅ではありません。
人間がかつて、自然とどのような関係を築いていたのか。
一つのコミュニティが、どのように森とともに生きてきたのか。
私たちは、自然の領域へどのような敬意をもって入っていくことができるのか。
そして、そこで学んだことを、私たちの日常の暮らしにどう持ち帰ることができるのか。
それを考えるための旅です。
ニャクルの人々は、私たちに教えてくれているのかもしれません。
森は、人間だけが利用するための「資源」ではない。
そこは、多くの生命が暮らす「家」である。
季節を通して教えてくれる「先生」であり、
食を学ぶ「台所」であり、
壁のない「教室」であり、
そして、人間が自分自身の小ささをもう一度知るための場所なのです。

スークワン・パー――森への祝福
私たちは、二本の足で森へ入っていきます。
けれど、森から持ち帰りたいものは、
変化した「心」なのかもしれません。
森を「場所」として見ることから、
森を「生命」として見ることへ。
自然を「私たちが利用するもの」として見ることから、
自然を「ともに生きるもの」として見ることへ。
そして、
「森は私たちに何を与えてくれるのか?」
という問いから、
「私たちは森に何を返すことができるのだろう?」
という問いへ。
これが、「スークワン・パー」の旅です。
人間と自然との、かつての関係をもう一度たどる旅。
森を通して。
人々を通して。
物語を通して。
食を通して。
信仰を通して。
呼吸を通して。
そして、もう一度、意識をもって世界とともに生きることを通して。
もしかすると、
「森への祝福」とは、
森の魂を呼び戻すことではなく、
人間自身の魂を、もう一度この世界へ呼び戻すこと
なのかもしれません。
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森へ還る旅 ―「スー・クワン・パー」
私たちは近いうちに、もう一度この森の道を歩きます。
それは、ただ森を歩くための旅ではありません。
森の中で暮らしてきた人々の営みに触れ、
自然と人とのつながりに耳を澄まし、
私たち自身もまた、自然の一部であることを思い出すための旅です。
「森とは、訪れる場所ではなく、
ともに生きる場所なのではないか。」
そんな問いを胸に、
森とともに生きる人々の歩みをたどりながら、
ゆっくりと森の声に耳を傾けていきます。
この旅に関心のある日本の皆さま、
森の暮らしや自然との共生に興味をお持ちの方、
ぜひ私たちと一緒に歩いてみませんか。
年齢や経験は問いません。
森を愛する気持ちと、
自然から学びたいという思いがあれば、
どなたでも歓迎いたします。
まだ多くの人には知られていない森の道を、
地域の人々とともに歩き、
そこに息づく暮らしや文化、
そして森と人との未来を、
一緒に考えてみませんか。
皆さまと、この森でお会いできることを楽しみにしています。
森へ。
そして、森とともに生きるということを、もう一度考える旅へ。
